大切な人をもてなす。
そんな大人の贅沢にこそふさわしい
受け身では存在しない
「大人の贅沢」
「大人の贅沢」。聞くだけで優雅さを感じるこの言葉は、華やかさと、近寄りがたさに包まれています。年齢を重ねたから、生活に余裕があるから、自由になる時間が増えたから、といって手に入るものではない、と心のどこかでわかっているからそう感じるのかもしれません。
「大人の贅沢」とは、つまるところ自分の心が充足する体験であるように思えます。
ずっと習いたかったフランス語に挑戦する、茶道のお稽古を再開する、海外ボランティアに参加する、畑を借りて野菜を育てる、都心を離れて海辺の街へ移り住む……。
単に消費するだけの行為では飽き足らなくなったとき、私たちは体験を通して、ひとや自然との、新たな関わりを求めるのではないでしょうか。
自分の楽しみを追求するだけの立場から卒業し、みずから育んだ何かしらを周りへ提供していく。その先に「大人の贅沢」が待っているのだと思います。
もてなされる側から、もてなす側へまわる。
「大人の贅沢」への関心と憧れは、人生の第二章の始まりの合図です。

キッチンで一人計画む、
もてなしの光景
圧倒的な存在感を誇る三段重「溜に金」は、正方形の側面(胴)が張り出した、「胴張り」と呼ばれる形をしています。
地味なようで派手、派手なようで地味な佇まいには、これみよがしではない大人の品格が匂いたちます。ふっくらとしたフォルムを、重段の上縁に蒔かれている金縁蒔絵がリズミカルに引き締め、格式高い華やぎを加えています。
蒔絵の輝きを際立たせる、漆の艶やかで深みのある色は、「溜塗(ためぬり)」で仕上げました。上塗りまでの段階で赤色漆を塗り込め、最後に酸化により黒くなる朱合漆(しゅあいうるし)を重ねることで、当初黒に近い色味は、5年、10年と年を経るごとに、紫みを帯びた鮮やかな色調へ変化します。更に呂色(ろいろ ※漆の表面を職人が手で磨き鏡のような透明な艶を出す技法)で艶仕上げを行うため、年月を経るごとに、塗面に明るさと軽やかな趣が醸し出されていきます。
使いつづけるにつれ、手艶のあがってくる器は、お手入れのしがいがあるというもの。
キッチンで一人取り組むそのひとときは、この器で誰をどんなふうにもてなすかを企むのに最適な時間です。
洗いながら、拭きながら、この器にあの料理を詰めて、あの人とあの人を招いてみよう。テーブルにはあのクロス、玄関にはあの花を飾って……。
そんな想像が広がっていきます。

まず、普段の食卓で使ってみます
「でも、三段のお重なんて、どう使えばいいかわからない……」。
そんな戸惑いの声も聞こえてきそうです。
そんな方には、どうぞ堅苦しく考えないでくださいと申し上げたい。
三段重といっても、三段すべてに料理を詰めなければいけないという決まりはありません。
一段だけ、あるいは二段だけバラして活用しても一向に構わないのです。
ましてや、お正月や慶事のときしか出番がないわけでもありません。
むしろ、本来お重は自由度の高い器です。
特に「溜に金」は、どんな料理もご馳走に変え、食卓を一新するパワーがあります。
日常の食卓でお重を使ってみる。
そうすれば、お重がいかに使いやすく、食卓に華やぎをもたらす器かわかっていただけることと思います。
重台はトレイや大皿代わりに、普段使いの器と一緒に並べて、漆とガラスや陶磁器の組み合わせの相乗効果を楽しんでみる。
お重の隅々まで料理を詰めなくてもいいと閃いたら、一段のお重箱に、おばんざいに見立てて玄米のお握り、ほうれん草の胡麻和え、だし巻き卵、きんぴらごぼうを、間隔を空けて斜めに並べてみる。
花屋さんのアレンジを参考に、お重を花器に見立て、乳白色の薔薇を重箱一面にあしらう。
丹精込めて作られた器を、毎日の生活で惜しげもなく使い、洗い清め、拭き、しまう一連の行為は、何気なく流れていく日常の一つ一つに心を込めるレッスンでもあります。
もてなされる側にいただけでは感じ取れなかった、「もてなし」の真の意味が、ものとの対話の繰り返しから、すとんと腑に落ちてきます。
暮らしのリズムが整ったら、そろそろ本番とまいりましょうか。
これまで生きてきた自分を労い、これから会うひとたちへの、もてなしの気持ちをこめて、今日も水にくぐらせた「溜に金」を丁寧に拭きあげる。
漆器のお手入れに大分慣れてきた自分を誇らしく思いながら、エプロンを外して、手早く身じまいをなおす。
……あと半時もしたら、この部屋に招く最初のお客さまの到着です。
